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veganism、創造性、反虐待が3本柱です。

あまりに不自然な「許し」

The Body Never Lies: The Lingering Effects of Hurtful Parenting

The Body Never Lies: The Lingering Effects of Hurtful Parenting

The Body Never Lies 第Ⅱ部第13章The Right to Awarenessを読みました。

親との和解を画策されない、親の立場になってみるように勧められないことによって
どれだけの人が精神のバランスを取り戻せることか。
社会も所謂セラピストも大半が親の側に立ち、クライアント一人ひとりの歴史を理解する姿勢を欠いているとしたら
完全に自分の側に立ってくれる人や言葉に幸運にも遭えた時どれだけ安心するだろう。

前者のような一般的なセラピストによる諭し、宥めをミラーははっきり否定している。
理解されるべきは親でなく、他者に顧みられることのなかった、誰にも気づいてもらえなかった自身の内部、「幼かった頃のわたし」であり、
自己の幼児期に起きたことから目を背けたり相手の期待に沿うように解釈したりするべきではない。
と。




ミラーの、読者への助言は地に足がついた、読むことで安心感を得られる、
味方になってくれる、温か味のある、現実的なものなので
そしてなにより読者に事実をストレートに伝えてくれているので
ある種のセラピストによる「ヴィジュアライゼーションによって理想的な親子関係を現実に起ったそれと置き換えましょう」
「許さないとあなた自身が解放されない」「否定的な思いを駆逐することであなたの内面がキレイになる」
などのすり替えや理想化の言葉を読むと、それらが非常にマヌケに響く。
後者は、効果があっても有効なのはごく短期ではないか。
ほんとうのことから目を背けず、自分に起ったことをごまかし無しに知るために付き添ってくれる言葉じゃないから空しさがつきまとう。